茶道を習い始めて1年くらいの頃、「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)
という本に出会いました。
一人お気に入りのカフェでこれを読んでいたのですが、
感動して涙が出てきたほどです。
これまでに何度も読み返し、本はボロボロ。
茶道のお点前を習う中での、あるあるエピソードや、
人生いろいろある中で、
いつも変わらず先生が季節の設えをして迎えてくれる。
自然が巡っているのを感じる様子などは、
読んでいて共感できるものでした。
中でも、ある日のお稽古中に、雨音が茶室を包み込むように
ザーッと滝のように降ってきて来た時のエピソードが印象的でした。
雨音に全身を耳にして傾けているうちに、突き抜けて、
頭の中でごちゃごちゃと気にかかっていることや、頑張らなくてはとか、
評価を気にするとか、不安や恐怖などすべて消えて、
とてつもなく自由になっていたという場面。
「してはいけないことなど、何もない。
しなければいけないことも、何もない。
足りないものなど、何もない。
私はただ、いるということだけで、
百パーセントを満たしていた。」
「雨の日は、雨を聴きなさい。
心も体も、ここにいなさい。
あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。
そうすればわかるはずだ。
自由になる道は、いつでも今ここにある。」
「どんな日もその日を思う存分味わう。
お茶とはそういう『生き方』なのだ」
森下典子著「日日是好日」より
その著者のドラマティックな描写と、ただいるだけで満たされている
ということに気付く瞬間が、何だかウルっと来てしまった。
慌ただしくて、日々変化しているような落ち着かない日常。
たくさんの情報にさらされ、昨日のブログにも書いたように、
焦ったり、周りを気にすることで心が乱され、自分のペースも見失いそうになる中、
2時間のお茶室での静かな時間は、ただその場を感じる時間。
その場にいる時間は、静かに自分と向き合う時間でもあります。
お点前の手順を指摘されたりはするけれど、
お点前をしたり他の生徒さんのお稽古の間、じっと座っていたりする間、
何を考えて何を感じるかは自由。
今日は、集中力がない、心が落ち着かないなと気付いたり、
お湯がシューっと沸く音、お茶をシャカシャカと点てる音、
炭やお茶の香り、季節を表現したお菓子や花や茶道具の設えなどを、
五感を働かせて感じたり。
そうしているうちに、著者のように今を味わいつくした先に、
満たされ、自由を感じる境地に至ることができたら、感動的だ。
お茶の世界って、なんて懐が深いのだろうと思ってしまう。
茶室は、4畳半とかだったりして、狭くて薄暗い雰囲気だったりするもので、
その空間を赤ちゃんがいる子宮のようだと表現していた茶人を思い出します。
それは、物理的にではなくて、自分のありのままを受け入れられて
満たされるような感覚になるからだと思いました。
お茶を始める前には、お茶の世界がそのようなことを感じることが
できる奥深いものだとは想像もしていませんでした。
でも、そんな気付きもまだほんの一部なのではないかと思います。
お稽古を重ねていく中で、まだまだ気付けることはたくさんあると思います。
本当に果てしなく奥深い世界。
著者である森下典子さんの感性、そして、その表現力が本当に心に響き、
お茶の世界をこんなに感情豊かに感じることができたら、すてきだなと思いました。
「ありのままの自分でいい」「自分は満たされている」
それって、ミニマリストの考え方にも共通するなと感じました。
その境地にいれば、物は手放せるし、物を手放せば、
その境地に近づくこともできるかなと。
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「日日是好日」は、黒木華さんや、樹木希林さんで映画化され、
映画でも泣けました。
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